献花展が行われていた、国指定史跡旧鐙屋です。
酒田を代表する廻船問屋「鐙屋」は、酒田三十六人衆として町政にも参画し、江戸時代の日本海海運の大きな役割を担っていました。 その繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永大蔵」にも記されるほど。 国指定史跡となっている家屋は、弘化2年(1845)の大火の直後に再建されたものといわれ、当時の庄内地方で広く用いられていた「石置杉皮葺屋根」の典型的な町屋造りで、平成10年に修復作業を終えてから一般公開されています。
鐙屋を訪れた客人をもてなす台所の様子が、西鶴の「日本永代蔵」に描写されている。
「箱膳」一人分の食器(ご飯茶碗や味噌汁椀、小皿、箸など)をしまっておく箱。
食事の時は、蓋を裏返して膳(テーブル)として使用した。
食事は残さず食べ、最後に白湯と漬物で器を洗い、お湯は飲み干した。布巾で器をふいて元通りに箱に戻していた。
中に酒、砂糖水、ジュースなどを入れ、ハエが入ると出れなくなる仕組みに。
油鍋(天ぷら鍋)明治43年に新調した際の箱書には「脂肪(油)で覆われた食べ物には、防寒の効果があるので、なるべく天ぷらを食べましょう」という意味の言葉が記されいる。火を焚いて暖をとるだけでなく「温かいものを食べて体の中から温まろう」というこの教えは、鐙屋家の人々の質素で堅実な気質を表している。